私のヘルニア闘病日記

なった者にしかわからない 椎間板ヘルニア 坐骨神経痛

手術という選択肢

あくる日大きなS病院に夫が車で連れて行ってくれた。

車椅子でまわり、ベンチに横になる。

予約していても1時間ほど待つ。

M先生の新聞の切り抜きなどが貼ってある。

 

呼ばれて入ると、身体も大きな、声も大きな堂々としたM先生。

忙しい人だが、じっくり聞いて的確に提案してくれる感じがする。

ハッキリ言えないことは「わからん!それはなんとも言えん!」と言うのが面白く、しばらく夫婦の会話でも「わからん!」と即答するのが流行った。

 

◎所見◎

腰椎5番目はっきりヘルニア 。そこまで巨大ではないが、結構圧迫してる。

もしかして少し上の腰椎4番目も外側(がいそく)ヘルニア かも?この画像だけでは何とも言えん!

様子見てもいいが、手術するならタイミングってものがある。ズルズル痛みの時間が長いと、神経が(何て言われたっけな。癒着?そんなようなニュアンス)する。積(せき)ってわかる?痛みが増幅する。

 

というような話。

私達からしたら、まず、

「ああようやく手術出来るって言ってくれた。」

といった明るい気分。

 

自然といつか治るものだからと手術を避けるのもわかるが、

あんなに激痛で、2回も入院して、ほとんど歩けなくなって。それでもみんな手術って大きさでもない、様子見ましょうって、痛み止め薬だけで・・・そりゃもう暗い気持ちだった。

 

内心即答したかったが、慎重でいたいのもあったし、

O先生が渡してくれた画像はO整形外科で撮影した2、3ヵ月前のものだったようで、N病院の激痛時に無理矢理とったつい最近の画像が見たいと言われたので、

再度O整形外科に取りに行くことにした。

(二度手間にさすなよ〜O先生!前にも言ったけど、医療の世界はデータを共有にしてほしい!)

M先生はそれを見て判断したいので、お互い保留で。

 

帰りに、画像に先生が印をつけた紙を印字してくれ、ペインクリニックのことも相談したので、紹介出来るペインクリニックの一覧表みたいなものももらえた。飾らないけど親切だ。

 

その足でO整形外科に寄る。

はじめ、CD‐ROM借りるだけなのに診療に並ばなければいけないと言われた時はさすがにムッとしたが、しばらくして画像だけ持ってきてくれた。

 

**************

 

新しいほうの画像を持って行く日は、早くから母が迎えに来てくれた。またS病院へ。

 

高齢になった母に車椅子を押してもらうというのは、大変抵抗のあるものだった。

申し訳ない気持ちでお願いする。

母らしいザックリした押し方が、時々どこかへ当たったりして笑えたが・・・。

待ち時間はやっぱり長かったが、女2人ゆっくり話せて楽しかった。

 

さて、画像を見たM先生。

「このN病院の画像見たら、外側(がいそく)ヘルニアはちょっとどうかようわからん!という。画像がもやーっとして見にくい。」

激痛時に無理矢理とったからな・・・。

 

しかしまぁ、逆にわかることもあると。

「第5番目のハッキリしてるほうのヘルニアは、明らかに増大。つまり悪化してる」。

 

それで、

①引き続き様子を見る

②ハッキリしてるものだけ摘出

③ハッキリとモヤッとを同時に見てみる

3つの選択肢をもらい、夫とも相談しますという話にした。

 

母は待合で待っていていてくれたが、簡単に報告すると、明るく聞いてくれた。帰って、母の美味しいお昼を一緒に自宅で食べられて嬉しかった。1人では何もできない。

 

夫に話して、②に決めた。

決めてからまた予約をとった。一週間後。

 

CD‐ROMはまたO整形外科に後日返却した。

 

この時期も、ほぼ自宅で軟禁状態というか、のそーっと起きてきて(朝がこわばっていて激痛がきやすい)家事もほとんど出来ず夫の帰りを待つ状態。

仕事で疲れているのに、おでんを仕込んでくれたり、本当に細やかによくしてくれた。

 

トラムセット&吐き気止め 毎食後

メチコバール 毎食後

寝る前 リリカ150mg

それでも痛い時ロキソニン&胃薬(1日2回くらい飲んでたかも)

 

これはあかん。やるぞー!手術!