私のヘルニア闘病日記

なった者にしかわからない 椎間板ヘルニア 坐骨神経痛

2回目の入院③【退院したい編】

あくる日の朝は牛乳とお茶くらいが精一杯。

強い痛みは1時間ほどで済んだ。

痛み止めで、その時間をなるべく短く済ませられようにするだけの努力。

 

夕方、看護師さん1人が整形外科の医者2人を部屋に連れてきた。最初からそうしてよ〜。

 

昨日はあまりに痛がっていて診れなかったそう。そんな話あるかい!

昨日と比べて静かになった私に、同じ様な簡単な問診。そして、1回目の入院のときに打ってもらった硬膜外ブロックの詳細などを聞かれた。で、何やら2人でヒソヒソ帰って行った。

 

その内の1人(昨日の医者)がまた夜やって来て、昨日のデータも合わせて、明日時間がとれたら外来に呼んであげてもいいというスタンス。

チッ。偉そうだし冷たい。

 

この頃頼もしい看護師さんと仲良くなり、その人も同じO整形外科にかかっているので、色々悩み相談する。

この病院の整形もブロックとか出来ますよね?って聞いたら、
「出来るには出来るけど、最近1人か2人先生が居なくなって、出来ることがかなり限られてる」そう。忙しいのか・・・そんな理由許せんなぁ。

 

腎盂腎炎の点滴は終了。

 

翌日も結構痛く、座薬を入れてもらうほど。

しかし、這ってでも整形の話を聞きたい!

で、夕方呼ばれた。

 

◎所見◎

MRIで、神経を圧迫しているヘルニアが確認できた。
このタイプは確かに非常に痛みが強く出る時があり、痛い箇所とも一致する。

ただ痛みが強い反面、このタイプは半年後に吸収されて治ることが多い。

一刻も早く仕事に戻らないといけない働き盛りの男性なら手術に踏み切ることもある。」

 

「ひとまず、腎盂腎炎という感染症が重なった以上、少なくとも完治が確認されて2週間以上は経たないとブロックなど針を刺すことは危険過ぎる。今は辛くても投薬しかない。」

 

「今後は、O整形外科さんに初期から全てのデータを集めて投薬で診てもらうのがベスト。
ペインクリニックもいいけど、O整形外科からまた紹介してもらったほうがいい。

 

しかし、厳しいけど出来れば投薬で神経根ブロックもせずに半年(いつから?)の時を待つのが一番いい」

 

というような内容。そりゃあそうだが。

1番腹がたつのは、

退院も投薬で何とか頑張ってもらうしかない。

というところ!気合いか?病院で?

こっちだって出て行きたいけど、アシストもできんのかい。

全く患者のことを考えない。

自然治癒が一番なんて全員そう思うけど、困ってるから医者に来る。

 

とにかくこれで夫とも再度意見が合い、サッサとここを出て、積極的な道を選択して行こうと決めた。

 

サッサと・・・出来んけど。

2回目の入院②【坐骨神経痛 編】

この入院はここからが苦痛の7日間だった。

 

朝がた、6時ごろだったろうか。

まどろみの中、布団の中で腰を少し浮かせてずらそうとすると、

・・・ヤバい!くる!!!

その瞬間、ナースコールにしがみついて押せた。

「ぁあぁあゔーーーイッ・・・たーーーい痛い痛い痛い!!!」

あいつがまたやって来たのだ。

 

恐怖の坐骨神経痛。激痛だ。最大級クラス。

 

腎盂腎炎のほぼ治りかけ患者と思ってる内科の看護師は困っただろう。

「痛い?どこが?腰?どんな風に?」

坐骨神経痛が!ヘルニアの!腰っていうより左脚全部!!!もう全然かみ合わない。

ロキソニン飲んどく?」みたいなホンワリした感じで言われるので、そんなんじゃ全然効かない痛みなの!と唸りながらアピール。

 

しばらくウァ〜ッと悶絶してる間に看護師さんが相談しに行ってる時間もうらめしい。アイツどこ行った?!鬼の私。

 

この時間はまた微妙なのだ。先生も基本的にはいない。

 

暗闇で仕方なく座薬を入れてもらう。座薬は効き目が早く強い。

しかし入れてもらうのがひと苦労。なにしろ左脚は今の形から1ミリ曲げても伸ばしてもムリ〜〜って絶叫なのだ。涙とヨダレと叫び。

 

治る気配は無く、個室とはいえ大声でうなり続ける私。私だって大人だからしたくてしているわけではないが、それくらいの痛みなのだ。

 

明るくなり、内科の先生に確認をとってくれたそうで、新たな処置が施される。

 

総合病院なのだから、サッと内科から整形外科に運び込んで「コイツうるさいんですわ」と引き継いでくれればいいだけだとおもうのだが、それは出来ないそうだ。何でよ?!

あくまで内科で入院しているので、内科で出来る範囲でなんとかするそうな。バカな。

 

で、それは看護師さんによる、痛み止めの筋肉注射。

これが内科で今やってあげられる最大級のようだ。これがまた、ここのところ注射に慣れてた私でも記憶に残る痛さであった。

左の肩らへんに、ブスーッとね。長く太くズシーンとくる!もともとの叫びついでに痛い痛い痛い痛い!と叫び続け、

しばらくしたら、声が小さくなり、やがて麻酔銃を撃たれた大型動物のようにドサッ・・・と寝た。

効き目は3時間くらいだったろうか?

ドライな事実が告げられて大型動物は起きる。

今日は10時から泌尿器科MRIを撮るというので、予約してあったのはもちろん覚えていたが、私がそんな状態でも、ベッドごと連れて行くそうだ。

ちょっと注射の効果が残ってるうちに。

鬼なん?!

 

ベッドがグルグル回り、あ"ぁ〜ウゥ〜と唸るボサボサの私が、病院中を駆け巡る。

外来の一般客も、ああはなりたくないといった視線でジロジロ見る。(ようにみえる)

 

で、撮影の部屋に着いたら、ヒートテックみたいなキャミなどが邪魔だとかで、カチコチの身体からパジャマを脱がされ、撮影着にお着替え。

またもや痛くてウェ〜ン!

(この後しばらくこの服のまま入院してた)

 

技師の男性陣にベッドから台にシートでスライドで移されるが、涙やらでドロドロの自分を王子様抱っこのような感じで抱えられるのが恥ずかしかった。

 

さらに骨盤周りを撮影するので、痛くても上向きでじっとしててと言われる。

イヤ無茶でっせ!

ギャ〜。

叫ぶ。

ひざ下に三角クッションみたいの入れてくれたりして、何とか強引に。我慢だ我慢。

 

確かにほんのり注射の効果が残ってるのか、MRIはうるさいが少しの間眠れた。

終わり、また内科の個室に戻される。

 

その後どうしたか、ロキソニンなんかを飲んだんだか忘れた。持ち込んでる痛み止めをフルに使うしかない。しかしせいぜい2時間足らず。

痛みは続く。

 

すると今度は内科の優しい先生が見るにみかねてかけあってくれたようで、(というか相当スタッフが手をやいていた)整形外科の外来に行けることになったからね!と言われる。

ようやく!ようやく整形外科へ!!!

 

またもやベッドごとぐるぐる病院内連れ回し、外来患者をおののかせ、グァ〜〜と泣き叫びながら整形外科外来へ到着。

看護師さん達も黙らせたいようで、

「ゆっくり息してね〜痛みが余計強くなっちゃうよ〜」とたしなめられるが、カラカラの喉を振り絞って泣く。

そして背中の後ろで整形の先生のごく軽〜い問診が。いつから?とか何度足が上がるか?レベルのやつ。イライラする口調。

そして、耳を疑った。

「うーんちゃんと画像見ないとわからないから撮って、いったん内科の〇〇先生にお返しして」

 

えっ?終わり?

ブロック注射とかは?

絶望感たるや、ものすごかった。

画像もう撮ったし!

何で何もしてくれんの?!

というニュアンスを泣き叫んでいたが記憶はない。

看護師ーズが、同時にベッドをガラガラと素早く移動し、瞬く間に内科の個室に戻されたからだ・・・無念だ。

 

画像ならかかりつけのO整形外科でもとっている。しかしこれが医療の世界のおかしなところで、お取り寄せみたいなものはない。

救急でここに来てるから、ここで撮り直さないといけないのだ!ヒドいシステム。

 

しかもお忙しい総合病院様がすぐに撮らせて下さるわけもなく、しばらくグッタリしたりうめいたりを繰り返していた。

ようやく撮影に呼ばれ、本日3度目のベッドごと病院内グルグル巡回である。

 

撮影の部屋も2度目。

来ましたよ、絶叫の女が。

朝より2割増しで泣いてますよ!

 

今度は背中〜腰のレントゲン&MRI

 

レントゲンでは「ム〜リ〜!」という叫びと動かせない身体で、男性陣も苦労した。

「すぐ終わるから!吸ってー!止めて!はい終わったよー」と必死。

 

MRIは朝より痛みがまずかった。それを見て

「動いちゃうと撮影出来ないからね〜」と釘を刺される。

「どうしても無理だったら、これ押してください」とボタンを渡された。

筒の中で、かなり押そうかと思ったが、またやり直すことを想像して、力を振り絞ってジッとしていた。今までで1番辛かったMRIだ。

 

後日S病院にこの画像を持っていったら「ちょっとボヤッとしててわかりにくい」とM先生は言っていたが・・・このせいか。

 

すべて終わり、また内科の個室に戻ってきた。

その頃には夫も駆けつけてくれていた。

内科の先生と、看護師さんと、4人で暗〜いやりきれない気持ちで話し合っていた。

 

結局、今は腎盂腎炎で入院してきて微熱だが熱もあり、そういうリスクのある処置は出来ないと整形外科は言っている。

内科としても何とか痛み止めでおさめて退院してもらうしかない。

画像見ての所見は、近々整形外科の外来に呼ぶからとのこと。

つまり・・・今、誰も何もしてくれない。

 

いつも元気に優しく励ましてくれる夫も、この晩ばかりは静かに行き詰まった表情だったのを覚えてる。

先が見えない。

 

という感じで、

“ヘルニアに悩む患者が”

“内科にて"

“痛み止め薬を自分で飲むだけで"

退院出来るコンディションになるのを待っている日々

があと1週間強続くのだった。

うそやろ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2回目の入院①【腎盂腎炎 編】

あくる日には、高熱はすっかり下がっていた。

抗生剤の点滴もしてもらって、元気いっぱいになってきた。

 

両親もかけつけてくれ、立派な部屋だなぁなんて楽しくお話。母が1人で困るだろうと夫に夕飯のおかずを作ってきてくれたのが助かった。

 

実際、この個室はとても素敵だった。

f:id:nobackpain:20190207180253j:image

広々していて気に入った。数日後に上階へ移動になった時は、町が一望できて素晴らしい眺めで気持ちよかった。

看護師さんもT病院とは違い、若い可愛らしい子が多い。フワフワした口調。

 

点滴スタンドをブラブラぶら下げながら、のんきな楽しい入院だと・・・思っていた。

 

先生も、あまりにすぐに治って驚いていた。

もう数日後には退院していいよと言われて、今度は早かったねなんて・・・思っていた。

 

しかし、ここからが長かったのだ。

2回目の救急搬送 【腎盂腎炎】

それは突然やってきた。

普通の夕飯の後、いつもの薬(トラムセット 、吐き気止め、メチコバール)を飲んで夫とテレビの前に座ってアレ?

私「あれ?なんかちょっと横になるわ」

夫「(足腰)痛いんか?」

私「寒くて・・・」

それくらい喋ったところで布団の上に倒れ込んだ。

 

!!!!!

急激に、悪寒。

 

そして胸が苦しい。体が痙攣している。

ガタガタと震え、どんどん息がしにくくなる。

この時、死ぬような気がしたくらい。

短時間だけどマズイのがわかる。

 

(私はこの時、薬でおかしくなったのだと思っていた。)

 

この日は土曜日。しかも三が日過ぎたとはいえお正月だ。

夫「救急で診てもらえる病院連れてってやろか?」

私「・・・き、救急車呼んで下さい

 

夫はさぞかし嫌だったろう・・・つい10日ほど前に呼んだここへまた救急車を呼ぶということが。ただでさえ注目されたりすることが嫌な人だ。しかし、すぐ手配してくれた。

 

それどころか、救急車が来るまでに、ある程度の最低限セットを準備してくれていた。全ての飲み薬とかも。すごいな!

 

デジャヴのように救急車到着。3人の隊員到着(夫曰く1人くらいは同じ隊員っぽかったらしい)。

あれこれ聞かれるが胸が苦しいのであまり答えられない。「気持ち悪ーい」も訴えはじめた。

今回はあの担架ではなく、

ゆりかごを起こしたような、半身起こした感じで家から連れ出された。気持ち悪いって言ってんのに〜。何か理由があるんだろう。

熱は40度近くある。インフルと思われてる?

 

夫は帰りがあるので、別で自家用車で向かう。

 

今回はN病院。

前回いっぱいで入れなかったところだ。

今回はこないだのT病院がいっぱいだったのだそう。(その辺も夫が話してくれたようだ。)

 

受け入れ。病院の方は年配で感じが良かった。

何をされたかあまり覚えていないが、検温、採血、インフルエンザの検査。

そして、尿検査だ。

 

もちろんトイレに行ける状況でない私に、ベテラン看護師さんはベッドの上でどうぞ、とおっしゃる。尿瓶のようなチリトリのような容器で待ち構えてらっしゃる!

(カーテンでぐるりと隠して下さってはいる)

だけど、恥ずかしいという心からか、ベッドの上でしてはいけないという道徳からか、待っても待っても・・・出ない。

 

結局“あの”尿管を一時的に通すことになった。

ううう・・・嫌だなぁアレ。男性だったらもっと嫌だろうな。

採尿出来たら、尿管もすぐ外してくれた。

 

優しい内科の先生と夫と合流し、先生の見立てを聞く。それは、

 

「おそらく、急性の腎盂腎炎でほぼ間違いないと思います」

 

じんうじんえん?・・・腎臓?ナニ?

ばい菌が膀胱に入ると膀胱炎になるが、

さらに腎臓まで上がってきてしまうものらしい。

そしてばい菌とはそう、主に大腸菌

菌に詳しい夫は半笑いである。

数字に強いので数値を見てさらに鼻で笑ってる。

 

そこで私たち夫婦の頭によぎったのは・・・

 

前回の入院で、T病院でものすごくその可能性があるような場面があったのだ。

詳しくはここでは述べないが、くっそぉ〜T病院そしてあの患者!などと他人のせいにしていないとやりきれない。

私は以前膀胱炎になった経験から、人一倍そのあたりのことには注意しているのだ。

 

「インフルエンザは陰性でしたが、可能性はゼロではないので、個室に入院してもらいます。」

 

こっ、個室!差額6000円。きゃーーーーー。

2回目の入院のはじまりです。

 

 

1回目の退院

明けましておめでとうございます。

元旦だ退院だ!

 

でも、朝かなり痛みが出て取り消しになるかも?!とヒヤヒヤ。慌ててトラムセットと吐き気止めを祈るように飲み、なんとかおさまる。

 

おせち風の食事が嬉しい。

f:id:nobackpain:20190207174216j:image

スライスのお餅のようなものが入ってるお雑煮、田作り、数の子、黒豆など。

病院で年を越すのは何となく取り残されたような気持ちになるので、ありがたい。

こんな時でも関係なく夜勤やら出勤の看護師さんたちはスゴイなぁ。

 

夫が登場して予定通り午後退院。

あのおばあちゃんに挨拶も出来た。サッパリとしていて益々、良かった。

 

院内は車椅子で、久しぶりに外に出て、あっ私の車だ。後部座席に寝転がって帰る。病院の外観も駐車場も何もかもやっと見た。

お正月なので、清算は後日郵送で届き、払いに来る。

後日届いた!

8日間の入院費79000円くらい。現金で払ってきた。救急でお正月だったので、限度額認定証は出せず。12月も1月もなかなか医療費がかかったので、差額分あとで戻ってくる手続きになっている。

 

お家・・・嬉しい。

 

テレビや映画はジイッと観てるのがしんどいので、ウロウロしたり横になったり、届いた年賀状をいつまでも眺めたりして地味に喜ぶ。

夫の作ってくれたご飯がまた美味しい。

 

家に帰って一番大変だったのは、掛け布団が重かったことだった。

痛みもあり、寝返りがうてず、夜中にウンウンうなって「痛〜い」とか「重〜い」とかうるさいので、夫婦別室になり、軽い薄い布団2枚と毛布、そして暖房を使ってしのいだ。

 

※これは後日、素晴らしい羽毛布団を購入して改善された!(2回目の入院④ 脱出への道 編に詳しく記載)

 

後日、T病院からのお手紙を持って、近所のO整形外科へ。お薬が無くなるので。

正月明けでめちゃくちゃ混んでる!朝イチで行って、昼くらい。

 

救急搬送された以来なので、O先生は笑ってた。「大変だったね〜!良くなってよかったねぇ」良くはなってないんですけどね・・・。

 

隣のドラッグストアでたんまり2週間分の痛み止めを処方された。

 

これはT病院と同じ内容。

 

トラムセット &吐き気止め 毎食後

メチコバール 毎食後

リリカ 75mg 寝る前 

ロキソニン&胃薬 痛む時

ボルタレン座薬 痛む時

 

しかし、この自宅生活はわずか4日間となる・・・。

1回目の入院

そこからどう過ごしていたかあまり記憶にないが、しばらく痛みは毎日。

ベッドの枕のわきに食事が置かれ、寝ながら飲み食いするが、これがまたつらい。食欲も出ない。水分は「楽のみ」という容器が便利だったので、夫が100均で私専用のを買ってきてくれた。

 

尿管を入れられて、大人用オムツも。涙

 

2日後、新しい薬が出される。

「トラムセット」だ。ほ〜これが!

f:id:nobackpain:20190208113043j:image

坐骨神経痛だのヘルニアだので調べると、リリカ 、トラムセット はよく名前が出てくる。

しかし微量の麻薬的なもので、モルヒネを小さ〜くしたようなものらしい。

恐ろしいが、期待。

 

※トラムセットはその後よく効いてきたように思う。眠れるようになった。

 

3日目くらいに、とても頼もしそうな整形の先生が回診に。どうやらここは常勤がほぼおらず、非常勤が何人かいる。

 

痛みが強くなかなかとれない私の様子がわかり、

硬膜外神経ブロック注射しましょうか」と提案された。

 

今までお尻に打つブロック注射、仙骨にうつブロック注射、トリガーポイント注射を受けたことはあるが、これは聞きなれなかった。

ネットでみていた「神経根ブロック」という最高に痛そうな注射だったら怖かったので、それですか?と聞いたらそれではないです、と。

 

それならと快諾すると、テキパキと気持ちのいい指示がなされ、そのまま病室で準備された。

この体勢は初めて。

うつぶせではなく横向きになり、

茹でエビのように身体を丸める。

その丸まった腰のあたりに、プスッ。

 

身体が固まっているので、丸めるのが難しかったが、看護師さんがギュウギュウ押してくれた。痛みは大きくない。アレ?って感じ。

 

効き目はすごい。

すぐに左脚がフワーッと暖かく気持ちよくなり、すぐに夢心地になった。麻酔だ。

もちろん全然痛みがない!

そのままたっぷり休んだ。

その後、かなり痛みがおさまってよく動けるようになった。尿管もはずれ、そうなると歩く自主練もできるようになった。

 

調べたら、あの救世主な先生は、近くの大学病院から来られているベテランだった。

ということを調べていたら!あの頼りない挙動不審な医者は、同じ大学の4回生?ドクターの数え方わからないけど。だった!!!

どうりで・・・。

 

プロフィールもベテラン先生たちは『地域の皆様のために頑張ります』みたいなこと書いてあるのに、その子は『基礎研究を頑張りたいです』だぁ〜?!

しかし曜日によってはその子が「先生」なわけだから仕方ない。経験を積んで、コミニュケーションも頑張って欲しいと思う。

 

********************

 

同室に、クセのつよーーーい人と、静かなおばあちゃんと、完全に寝たきりの人がいた。

 

静かなおばあちゃんは、クセの強い人の話を時々静かに聞いてあげてた。

「自分は百姓しかやってきてないから…」と控えめである。

 

クセの強い人は、「私はあそこへも行ったことがあるし、ナマであの人を見たことがある」という話が多かった。そしてここで多くは述べないが色々と迷惑な人であった。

 

何度か挨拶したその静かなおばあちゃんは、こざっぱりとして、リハビリに行く時は綺麗な色のカーディガンを着ていた。

それが祖母を思い出して、何となく惹かれた。

 

少し話す機会があった時は、「〇〇さんは聞き上手ですね。ついお話したくなりますね」と伝えた。

 

*****************

 

そんな数日ののち、退院が決まった。

1月1日。

 

夫は毎日来てくれたが、大晦日はお互い1人だ。病院で1人もションボリだが、家で1人の夫も気がかりだった。

 

病院食もミニ年越しそば!嬉しい。

テレビを見てる人の紅白の音を聴いていたが、消灯が早いのですぐ消された。

 

私はテレビは無いならないでいいので、この後3回にわたる入院で1度もテレビカードを買わなかった。

 

でも夫が古いラジオを置いてってくれたので、その時はじめてそれをつけた。

(それまでしんどくて聴く余裕がなかった)

古くて?なのかここの電波?か、あまりよく聴こえず、何となく聴いた。

 

宮本&林檎は画像が無いとちょっと伝わりにくかった。superflyは上手だった。これがよくネットニュースに出てくる米津玄師か・・・別に悪くもないが声が好みでない。何も感じなかった。

北島三郎の再登場は嬉しい。倒れるまで毎年出て欲しい。明るい声が大好きだ。

 

それよりラジオ向けの副音声というものがあるのか〜!確かに現代の紅白は画面でないと何をやってるかよくわからない。

松田聖子の時だと「フリフリの白いドレスです」とか。真面目なリアルタイム解説。ディスってる?結構笑えた。

後日ネットニュースで大好評だった、サザンとユーミンの絡みは聴けなかったが、ユーミンの「ひこうき雲」は聴けた。何度聴いても好きな、荒井由実の時の曲だ。声はフルフルしていたが構わない。

 

明日には出られる。

災害に備えてラジオは新調しよう。

寝た。

 

1回目の救急搬送【坐骨神経痛】

腰椎椎間板ヘルニアによる坐骨神経痛に悩んでる時期ではあったが、普通の朝だった。

朝食と夫の弁当の支度が整い、ベランダに味噌汁のおネギを取りに行く時、あれっ?マズイなと思った。

 

 

激しい痛み!!!!!

 

布団に倒れこむ。

夫は心配そうに仕事に行き、お昼に帰って来てくれた。この間の薬などは覚えてないが、もう休みなく近所に響いたかもしれないほど大声でうめき、もがいていた。

 

かかりつけのO整形外科はすぐ近所なので夫も連れて行こうと言ってくれるのだが、なんせ車に乗るなんて考えられない痛みだ。動かせない。

私はついに夫に救急車を呼んでもらった。これが1人だったら、玄関のドアすら開けられなかったろう。

 

ドカドカと3人の隊員が入って来られ、あれこれ聞きながら担架の準備。

 

この時覚えてるのが、

『体重を聞かれたこと』。

私は普段夫に体重をひた隠しにしていたので、一瞬ひるみ、ややサバを読んで小さい声で答えた。

 

夫が話してくれ、まずものすごい近所のO整形外科に行くことになった。新しいところなので、グーグルマップが何かで探して「近いッスね」なんて言われてた。すんませんなぁ〜

 

この担架というのが素晴らしく良く出来ている。真ん中で縦割りになっており、身体の両サイドからスライドしてガチッとはめればいい。

身動きがとれない私にはありがたかった。

 

O整形外科でも、私のうめき泣き叫ぶ声はなかなかのものだった。かかりつけだけに後日行った時も、スタッフに「ああ!あの時は大変だったね〜」と笑われたほど。

 

痛み止めの点滴だけだったかな?

しばらくして静かになり、1時間くらいか。

夫が呼ばれて帰ろうかと会計などしてくれている時、

・・・また痛み止めは切れた。

 

再びのウギャオエ〜〜〜〜!に、O先生もなす術なく

「どこかに入院する・・・?」となった。

 

大きなN病院に連絡してくれたがいっぱいで、

T病院という地域の昔からある病院へ。

実家の祖母も遠くから通ったことがあったところだ。

 

再び救急車現る!救急隊員、同じなのか変わってるのか、ありがとう。救急隊員って御礼を言われるタイミングが少ないなぁと思う。

 

T病院で受け入れられ、入院のための検査をされる。

ここでまた夫同席のもと体重を尋ねられた。詳しく忘れたがこの日3回は聞かれた。もうサバ読み体重も覚えた。夫はニヤニヤ。なんぼほど聞くねん!!!)

 

どうやって病室に収まったかも忘れたが、整形の問診やらお尻に注射やらされて、入院が始まったと思う。4人部屋。

 

f:id:nobackpain:20190208065015j:image

 

両親も飛んできてくれた。心配そうだ。

 

この時の整形の医者が、相当頼りなくて挙動不審。若いボクちゃんって感じ。

時々ナナメ上をちらっと見ては、

「まぁ・・・様子見ましょう。」としか言わない男だった。

 

あ〜年末年始楽しい予定もふっとんだ。