私のヘルニア闘病日記

なった者にしかわからない 椎間板ヘルニア 坐骨神経痛

1回目の救急搬送【坐骨神経痛】

腰椎椎間板ヘルニアによる坐骨神経痛に悩んでる時期ではあったが、普通の朝だった。

朝食と夫の弁当の支度が整い、ベランダに味噌汁のおネギを取りに行く時、あれっ?マズイなと思った。

 

 

激しい痛み!!!!!

 

布団に倒れこむ。

夫は心配そうに仕事に行き、お昼に帰って来てくれた。この間の薬などは覚えてないが、もう休みなく近所に響いたかもしれないほど大声でうめき、もがいていた。

 

かかりつけのO整形外科はすぐ近所なので夫も連れて行こうと言ってくれるのだが、なんせ車に乗るなんて考えられない痛みだ。動かせない。

私はついに夫に救急車を呼んでもらった。これが1人だったら、玄関のドアすら開けられなかったろう。

 

ドカドカと3人の隊員が入って来られ、あれこれ聞きながら担架の準備。

 

この時覚えてるのが、

『体重を聞かれたこと』。

私は普段夫に体重をひた隠しにしていたので、一瞬ひるみ、ややサバを読んで小さい声で答えた。

 

夫が話してくれ、まずものすごい近所のO整形外科に行くことになった。新しいところなので、グーグルマップが何かで探して「近いッスね」なんて言われてた。すんませんなぁ〜

 

この担架というのが素晴らしく良く出来ている。真ん中で縦割りになっており、身体の両サイドからスライドしてガチッとはめればいい。

身動きがとれない私にはありがたかった。

 

O整形外科でも、私のうめき泣き叫ぶ声はなかなかのものだった。かかりつけだけに後日行った時も、スタッフに「ああ!あの時は大変だったね〜」と笑われたほど。

 

痛み止めの点滴だけだったかな?

しばらくして静かになり、1時間くらいか。

夫が呼ばれて帰ろうかと会計などしてくれている時、

・・・また痛み止めは切れた。

 

再びのウギャオエ〜〜〜〜!に、O先生もなす術なく

「どこかに入院する・・・?」となった。

 

大きなN病院に連絡してくれたがいっぱいで、

T病院という地域の昔からある病院へ。

実家の祖母も遠くから通ったことがあったところだ。

 

再び救急車現る!救急隊員、同じなのか変わってるのか、ありがとう。救急隊員って御礼を言われるタイミングが少ないなぁと思う。

 

T病院で受け入れられ、入院のための検査をされる。

ここでまた夫同席のもと体重を尋ねられた。詳しく忘れたがこの日3回は聞かれた。もうサバ読み体重も覚えた。夫はニヤニヤ。なんぼほど聞くねん!!!)

 

どうやって病室に収まったかも忘れたが、整形の問診やらお尻に注射やらされて、入院が始まったと思う。4人部屋。

 

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両親も飛んできてくれた。心配そうだ。

 

この時の整形の医者が、相当頼りなくて挙動不審。若いボクちゃんって感じ。

時々ナナメ上をちらっと見ては、

「まぁ・・・様子見ましょう。」としか言わない男だった。

 

あ〜年末年始楽しい予定もふっとんだ。