私のヘルニア闘病日記

なった者にしかわからない 椎間板ヘルニア 坐骨神経痛

術後5日目【コンサート】

昨日の晩は少し怖かった。

寝てるようで、眠れない、身体中がザワザワする不思議な感覚に包まれた。

悪寒とはちょっと違うが、それに似た感じ。

 

坐骨神経痛のブログを読み漁っている頃、リリカ か トラムセットどちらかの薬の離脱症状で、「ザワザワする感じ」という表現があった。

それかなぁ?

でも点滴の痛み止めが終わってすぐじゃなくて、2日後にくるのも変か?何だったろう。

 

夜は長いので、無理に寝ようとせず、ゆっくりトイレに行ったり、スマホでこういう文章を作ったり、お布団を重ねて暖めたりした。

いつのまにか、5時間くらいは眠れた。

 

今日もあのリハビリの可愛い子とおしゃべり。

こんなに可愛いのに出会いがないだとか。

同僚はみんな既婚者だそうだ。

 

少し歩き方がスムーズになってきた気がする。

 

午後に暇だと思っていたら、院内放送で、院内のホールでボランティアコンサートがあるとわかる。

見ると10分ほどで始まるので、思い切って行ってみた。

 

小さなホールだが、なかなかいい部屋。

思ったよりまばらな人。皆暇なんだから、もっと宣伝した方がいいと思う。

 

フルートアンサンブルというのがまた嬉しい。

ピアノやウッドベースクラリネットが見える。

私はフルートが大好き。フルートとピアノなんてラッキーだ。

そのウォームアップの音を聴いただけで、もう涙が溢れそうになった。マスクと眼鏡してて良かった・・・。弱っている時にはものすごく力になる。

 

数人すごく上手い人もいたが、レベルは色々でも楽しく集まっている感じ。

ヴェルディから演歌まで30分、8曲もやってくれた。クラッシックなどはもっとゆっくり聴きたかったが、病人にはちょうどいい時間。

わたしのお尻〜脚もギリギリだった。

そのあとだいぶほぐしてストレッチしてから部屋に戻った。

 

イギリス民謡の灯台守」という曲が気に入った。

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日本でも編曲され作詞された有名な曲で、私は知らなかった。

両親に知らせたら、母は小学校で習ったそう。海のそばだったからかな・・・歌ってほしい。

そういう歌って、口伝で聴いたり歌ったりすると光ると思う。

 

またお隣に新しい方が入院され4人になった。

手術の前に血糖値を下げるとか。大変そう。

旦那さん、男っぽくも面倒見が良さそう。奥さんは旦那さんには強いが、少し訛ってて優しい雰囲気。夫婦いいバランス。

暇なので人間観察も面白い。

 

仕事帰りの夫、登場。

歩行器を連れて色んなところを2人でフラフラして、憩いの場で何でもない話をしていると、

どデカイ声で私を呼ぶM先生、登場!

思わずそのままサッと立ってハイッ!と返事をしてしまった。やれば立てる。

 

処置室に夫婦で入って、腰の傷を見てもらう。

順調に治ってるそうだ。自分では見えないので、嬉しい!なんかよくわからないが貼るものを取り替えてくれた。

シャワーも浴びたいので、またフィルムかなんか貼ってくれるそう。

 

「で、いつ退院したいの?」

おお、きたか!夫もいて良かった。希望日を言うと、

「いいよ。決定ね。」と。

 

その後近所のO整形外科さんをかかりつけにしつつ、1ヶ月半とか定期的にこのS病院にも見せに来るという方向で決まった。

たまにならここも来られるし、再発や外側ヘルニアの疑いなどM先生との経過観察はありがたい。

 

よーーーし!キッチリ退院するぞ!!!

 

といいつつ寝る前に少しだけ痛みがあってドキドキ。コンサートがきいたのかな。

でもまぁ、薬を飲みたいとかもなく就寝。

夜は最近あまり寝られない。

 

術後4日目【お粥】

朝、好きな「梅びしお」とお粥の組み合わせだったことを区切りにして、毎食お粥は終わりにし、次回から普通のご飯に変えてもらうようお願いした。

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隣の検査入院のおばちゃんが退院。

おばちゃんは昨日ナースコールで「眠れない」と訴えていたが(そんなナースコールもありか)「明日帰るんだし検査だから我慢しよっか」、とたしなめられていた・・・朝には寝息が聞こえていた。

確かにここの病室、外の車の音がうるさい。

私も寝つきは悪かったし早く目覚めた。

 

朝ベッドから降りる前、ちょっと左もも外側がはった感じがしてドキドキした。

立つと大丈夫。

 

午前中、一度病院内をウロウロした。

まだ上着がないので近場だけ。

 

ナースステーションまで行けるようになったので、限度額認定証を提出しにいった。

コピーをとったようで、認定証はその場で返却された。

 

リハビリの、あの元気な可愛い子。

今日も1階に行き、早々にフロアに戻ってきて、「今日は歩行器無しであるいてみますよ!」

いつも突然なステップアップ。

手すりがある廊下で、歩く。

なんかちょっと左に負荷がかかるのが怖い感じ。

ちょうどいい高さの出窓に手を置いて、爪先立ちなどの運動。好きなご飯屋さんが見えたので、行ったことありますか?なんて談笑も交えて。

確かにOLでもなし、忙しい医療関係者なら、職場の近くは行かんわな。

 

お昼ご飯。あれ?!まだお粥だ。

間に合わなかったのかな?お向かいのおばあさんは、逆にご飯じゃなくてお粥にしてって朝オーダーしてたので、お困りになるんじゃなかろうかと思ってしばらく手をつけずに待っていた。

だが・・・ちゃんとお粥が来たようだ。

冷めたし!自分のオーダーだけ通ってないし!

なんだか損した気持ちで食べる。

まぁ、交換しましょうよ〜って言われたところで気持ち悪いか・・・。

鶏肉と白菜を甘めに煮付けたものが美味しいなと思ってメニューを見たら「鶏すき」と。

ほ〜。家でも作りたいな。

庶民的な材料でお惣菜の参考になるし、作ってもらえるし、病院食は主婦にはありがたい。

 

ウトウトしてたら、待ちに待ったシャンプーをしてくれるそうで呼ばれた!嬉しい!!!

座れるので、共有の洗面所にあるシャンプー台で看護師さんにやってもらえる。

迷ったが、やはりうつぶせが怖いので、仰向け。やや脚に負担はあったが、短時間なのでギリギリ大丈夫だったようだ。

5日ぶりのシャンプー。あ〜気持ちいい。

看護師さんは本当に大変なお仕事だ。

若い(私は若くはないがこの病棟だと珍しい年齢なのでどうしても若いと言われる)女性だけでなく、相手はおじいさんおばあさんで、下のお世話からシャンプーまで。

 

 

前回の入院時もシャンプーのあと活動的になれた。清潔は人を前向きにする。

不潔だと自信もなく、どうでもよくなるよね。

 

そのあと熱いタオルで身体も拭いてもらって、パジャマやタオルを替え、サッパリ。

 

夕飯までにもう一度ひとり院内ウロウロ。

夕飯・・・

ようやくなってたよ、普通のご飯に。

久しぶりで美味しく感じる!

 

夫、登場。毎日よく寄ってくれる。

着替えも持って帰ってくれて、洗濯までしてもらうものだからありがたい。

今日は上着を届けてくれた。これで寒くても1階に少しは行ける。あの元気なリハビリの子はきっと外に連れ出しそうだ。

 

早速それを着て、夫を見送ることにした。

2人で初めてのルートを通ったり、自販機や売店をキョロキョロ眺めたりして、嬉しかった。

 

夜は同室のおばあさん1人が痛そうだったから、つい気になってしまった。自分も痛いような感じがした。

痛み止めはまだ飲まずにすんでいる。

メチコバールだけ、残ってる分飲む。

 

術後3日目【大部屋】

この日は色々変化が多かった。

 

まず昨日モヤモヤしていた薬の確認が取れたそうで、看護師さんから

「痛み止めは痛い時だけでいいよ」

と言われた(書くと当たり前な内容なんだけど・・・)。やったー!

ビタミン剤のメチコバールだけ飲む。

 

 

そして朝からmoondayが訪れた。

moondayは面倒だし腰も重くなるので嫌だけど、便通が良くなるし、デトックス要素が大きいので、色々このあと回復してくれそうである。

 

そのせいかもしれないが術後初めての便通があった。立ち上がれる頃で良かった。

 

そして個室から4人部屋に移動となった。

脊柱管狭窄症の人も多いし、膝、股関節と色々大変だ。自分のヘルニアなんて大したことないほうか・・・。

 

ところでこの大部屋に移されから快適になったこと。トイレだ!

ここに入院して、病棟が古いということはもう述べたが、トイレが整形外科にしては古過ぎる。

車椅子や歩行器でスムーズに入れるところが少ないし、段差もあり、男女が筒抜けみたいで落ち着かない。

新しい部屋は、綺麗な新しい棟の近くなので、私はもっぱらそちらに行った。

綺麗で、プライベート感があり、安心。

 

もう1人、こちらのトイレユーザーの若い男性がいて、骨折らしき車椅子姿。

入院中なのに身なりがピシッとしていて、コンサバティブな服の奥様をいつも従え、「オレはこんなとこにいたくねえ!」って雰囲気。そらそうだ。

働き盛りの男性の入院は本当に大変だと思う。

 

お昼。もうお粥じゃなくていいんだけどと思っていたら、看護師さんからご飯に戻す?と聞かれる。

だけどつい、お粥でお願いします!と言ってしまった。理由はお粥が好きだから。

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ただ、お粥はものすごく量が多い・・・。

 

午後ボヤッとしてたら、いきなり

「リハビリです!」

と元気な可愛いスタッフ登場。

 

え、時間知りたかった。

ボサボサのパジャマ姿で連れ出される。

 

なんと、歩行器でフロア内をウロウロしてただけの私が、今日は“歩行器で病院の外に出る”という。

 

え、寒い。

上着は退院の時だけと思って持ってない。

 

あれよあれよと言う間に、その子は私を病院の1階まで連れ出し(行けた!)病院の外にまで連れ出した(行けたよ!)。

 

・・・寒いですやん!!!

 

寒いよ寒いよ、と訴える私をよそにその子は

「寒いですよねー!今日は春一番が吹くとか言ってましたから」

なんて言いながら自分がゴールと定めた地点まで歩かせる。鬼か。

しかし、その子は半袖で笑顔なのだ。

筋肉がついてるから?よく動いてるから?感心する。

確かにそのあと病院内に戻ったら、暖かくて幸せ感でいっぱい。

その後もリハビリ室で、寝たままの足上げや、歩行器ナシで立って(!)歩行器に軽く手を掛けて爪先立ちや片足立ちの練習。

これもまぁまぁハードに感じた。

でも怖がりな私には、これくらいの指導者が必要かも。そうすると如来様か。ありがたや。

 

そのあと2回ほど、1人でもウロウロしてみた。

展望レストランと、売店

一階はインフルエンザがウヨウヨしているので、歩行練習でうろつくならとマスク5枚入りを買い足した。

歩行器のままお支払いして、ちょっとだけシャバ気分を味わう。

 

夕飯も終えた頃、夫が仕事帰りに寄ってくれた。

お水、着替え、それと「限度額認定証」が交付されたので届けてくれた。

少し話していたが、

夫、何度もグーグーとお腹の音が。

仕事帰りやもんね。早く帰って食べてね、と帰ってもらう。

ほんのひと時でも、力になる。

 

夜は歩いたせいか少し太もも外が痛い気もした。それとくしゃみと鼻水が少しある。早く寝た。同室の人は嫌だろうな・・・。

花粉症がもう出てるかも?!

 

 

術後2日目【個室】

個室での朝。

顔のカサカサのところが気になって、とろみ化粧水をつけたら、すぐにかゆくなってかぶれた!

この化粧水を使うのは初めてでは無い。どうやら術後かゆみが出やすい気がする。

あわててミネラルウォーターをコットンに含ませて拭き取った。気持ち良く、かぶれも徐々におさまってきた。ホッ。

一応夫にワセリンをお願いしておいた。

 

朝、看護師さんが今日の深夜に点滴が終わるという。痛み止め、抗生剤など。

先生が不在だから確認しておくけど、終わったら、今までやめていた飲み薬を基本的にはまた飲み始めるという・・・。

嫌だなぁ。トラムセットもリリカも常用性がある。

特にトラムセットは麻薬的な強いお薬で、手術前の2日にようやく1日2回になり始めてたのに。リリカは副作用が強いし、これも長くは飲みたくない薬。

痛くなったらロキソニンと胃薬かな、と思う。でもロキソニンも腎臓に悪いし長く使いたくない。モヤモヤする。先生帰ってきて!

 

午前中、日曜だけどリハビリをやってもらえて嬉しい。

昨日起き上がりの練習を1回しただけの私に、

「歩行器を使って立っていきましょう!」

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なんて言ってる。

正気?コルセットをつけて言われたとおりやってみると、出来た・・・嬉しい!

初・歩行器に感激。

もう使って歩いていいと許可が出る。

 

そして、そのあと初めて会う看護師さんが革命児だった。

まず、歩行器OKならそろそろ尿管とっちゃいますね!といとも簡単に尿管をとり、オムツをとり、普通のパンツに。

(それも今までと違い、自分で着替えられますよね?というスタンス。)

そして点滴を連れて歩くのも大変なので、天井からぶら下げるタイプに変え、

それに合わせて私のベッドや棚の配置までガラッと変え、自分で楽に動けるようにしてくれた。

「私のことスパルタって言う人もいますけど」と笑っていたが、相手を見て出来そうだからやって下さってるようだった。

助かった。

 

その後は快適。

やはり男性も女性も、入院生活でかなり考えてしまうのは排泄のこと。

これが自分の意思どおりに出来るということはかなり元気が出る。

 

お昼は節分メニュー。

お豆と、イワシ。でもイワシのフライだった。入院中揚げ物は食べたくならないので、焼いたのや生姜煮なんかだと嬉しい。

節分気分にさせてもらえただけでありがたいと思うのに、ひと言多い。

 

歩けるようになったので、夫に普通のパジャマを持ってきてもらい、着替えた。動きやすい。

 

夫はいつもギリギリ派で、もうすぐ駐車場の料金が変わるっていうギリギリに帰っていく。

昨日も、もう帰るって時に両親とバッタリ会い、話しが長くなってグダグダになった。

今日も、今帰ればいいのにって時にまだねばるものだから、看護師さんが点滴に来て、何だか騒がしい終わり方になったうえ、珍しく忘れ物(巨大なバッグ)をしてまた取りに来て、結局グダグダになった・・・。

何でねばるの?笑

 

でも、毎日のことでとても感謝している。

 

夜、「八宝豆腐」というメニューが好きだった。

八宝菜が好きで、豆腐好き。

それを合わせるとは。味はちょっぴり麻婆風味。まだ聞かれないのをいいことにお粥にしてる。

 

またふくらはぎが猛烈にかゆくなる。

点滴のせいか?と聞いてみたが、何本もやってるのに今さら・・・とあしらわれる。

 

深夜、最後の点滴が終わる。

 

痛みはほとんどない。

腰の傷が、動きによって痛むくらい。

 

術後1日目【HCU】

落ち着かないひと晩だった。

管という管が繋がっており、邪魔くさーい!というのが感想。

心配していた、痛みはほとんど大丈夫だった。

動いたら心電図のシールが取れたり、

酸素マスクの蒸気で水分がたまって口元がぬれたり、寝がえり打ちたいときも点滴・ナースコール・尿管などとにかくジャマ。

 

HCUの朝の看護師。

昨日、説明の時に部屋まで来てくれた頼もしい女性。

身体を拭き、寝間着を変える様子などかなりプロフェッショナルでかっこいい。

f:id:nobackpain:20190208211747j:image(写真は寝間着その2)

 

その看護師が隣の(話すことが出来ない)患者のケアを、新人の女の子に教えてあげていたけど、厳しく的確な教え方だった。自分で考えさせてあげるような。

 

でも、女の子は返事はめちゃくちゃ真面目なのに、コッソリ男性の中堅スタッフに文句を言っていたりして、どこも教えるのが難しい時代だなぁと思った。

 

私のお着替えの真っ最中に、その新人がカーテンを開けて「お手伝いできることありますか?!」と聞いていたが、ベテランさんは「大丈夫!今無いから!」と答えたのに何度も聞きに来る・・・しまいには「もうカーテン閉めてくれる?!」と言われてた。やる気があるのかないのか。

 

酸素マスクを鼻にぷすっと差し込むタイプのにしたら、めちゃくちゃ楽!これにしてよ〜。

そこから、心電図もとれ、あれこれ外し、酸素のもそのあと抜かれて、相当身軽になった。

 

水分もずっと取れなかったが、お腹の動きを確認し、うがいから始め、ようやく飲ませてもらった。

冷たくて、めちゃくちゃ美味しい!

 

11時にHCUから整形の病棟に戻る予定で、そこは個室だそう。

差額はとられない。

このベテランさんとはお別れか・・・さみしい。

入院あるあるだ。一期一会。

 

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時間ちょうどにお迎えベッドが到着し、HCUのベッドからスライド式に移った。

あれ?!ベッドが狭い!

看護師さん2人とも知らない人。

なんだかさみしい。

 

個室は明るく見晴らしがいいが、めちゃくちゃ古い部屋でドアを開けるといきなり自分。洗面台なども古く使いにくそう。

前のN病院の個室は素晴らしかったので、比べてしまう。

ううう、寝がえりをうっても、ベッドが狭い・・・。無料だし文句は言えない。

 

移動したらもう一度足の血栓予防のエアーを取り付けるとのことだったが、つけられなかった。聞いてみたら、整形では全然それはやってないから弾性ストッキングだけで大丈夫とのこと。

科によって違うのか。何となく不安で足先をこまめに動かす。

 

昼ごはん!

久しぶりのご飯だが、普通のお米だ

看護師さんも、「お粥がよかったねぇ」っていってる。夜からお粥に変更してもらうことに。

パクパク食べられそうな雰囲気だったが、久しぶりだということと、便通があったら困るなと思って(尿管は通っている)ごく控えめに食べる。

 

点滴で痛み止めと抗生剤もしており、痛みはほとんどない。背中を頭の方にずらそうと動くと少し痛い。

 

午後、土曜日だが早速リハビリの女の子が来てくれた。

寝てる私に、ベッドでの起き上がり方を教えてくれる。

ギリギリまで電動ベッドを起こして、お尻をずらしてひざ下を垂らし、ベッドに腰掛ける。

おお〜出来た!

でも終わったらフゥって感じで、自主練はせず。

 

夫、登場。

早速個室の古さとパイプイスの古さに文句つけてる、だけど色々届けてくれ、笑って話す。

かなり滞在して、ようやく帰る気になったところで、うちの両親とバッタリ。

結局ひとしきり父が話したところで解散。夫のおかずも母が作ってきてくれて、ありがたい。

 

夜中、猛烈にふくらはぎがかゆい!

血栓予防の弾性ストッキングを履いてるからだ。

かゆいー!じんましんのようにかきむしってしまい、ナースコールして相談。

暗闇の中で看護師さんが脱がせてくれた。

血栓は不安だけど、足先をこまめに動かすように言われてやたらバタバタ動かしていた。

これ以降そのストッキングは履かなかった。

 

夜には整形の看護師さんにも親しみが湧いてきた。

 

 

ヘルニア手術当日

朝ごはんなし。

水分も9時まで。

でも緊張してるのか、思ったよりはしんどくない。

点滴の針を刺して、そのまま動かして大丈夫といわれたけど腕を上げると痛い感じであまり動かせない。

 

昼過ぎ、病室に母が来てくれた。

昼ごはんもなし。予定は14時過ぎなのでずいぶん暇。しかも前の手術の人がまだかかってると告げられ、2人で世間話など。

父が母に託してくれたありがたい書物など眺めて、力をもらう。

 

その時は突然やってくる。

看護師さんから、「そろそろお着替えして、トイレ行っとこうかー」とお呼びがかかる。

素肌に手術着を着て、

両脚とも弾性ストッキングを履き、

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トイレに行って紙パンツに履き替える。

パジャマのズボンだけ履いていくというのだが、トイレでは難しく部屋に戻って母とバタバタ履いてる間に、

「さぁ行きましょう!」

あんなに暇やったのに。準備万端やったのに。荷物は置いといて、とりあえず母と手術室へ歩いていく。

普段コンタクトなので、メガネをかけていく。手術室の前で母と別れる時、メガネを渡す。

私「行ってくるね」 母「頑張って」

母の顔を見ると思わず泣きそうになる。慌てて振り切るように中に入った。

 

手術室・・・こんな広いんだ。

いくつも部屋があって、沢山の人がわりと和気あいあいと働いている。

私の部屋に入ると、そのマシーンの大きさや銀色のピカピカした様子に胸がギュッとなる。

正直怖い。

階段を2段ほど上がった少し高いところにベッドがあり、複数の人が一分の狂いもなく誘導してくれる。

手術着をシーツで隠してくれる中で脱ぎ、暖かい空気の入った、不織布で出来た布団に包まれる。暖かい。

怖かったけど、任せる気持ち。

点滴の針のところから、「痛み止めから順番に流していきますね。」

覚えているのはここまで。

パチっと、自分から目を覚ました気がした。

誰か呼んだのかな?

想像してた、「〇〇さーん」の受け答えはしたのかしてないのか、記憶にはない。

「無事終わりましたよ」

って、誰かが言ってた。

 

思い出すとイラッとするのだが、ここでまたあの万年筆マニアが登場した!

「楽しかったっす。ご褒美にいい万年筆買ってくださいね」とか言ってたと思う。

あの野郎・・・

私も私で、「買います。ありがとうございました」とか言うてたかも。んも〜貴重な時に!

 

ベッドはHCUという特別レベルで見守ってくれるお部屋に。色んな機器の音がしてる。

 

朦朧としてたからよく覚えてないけど、

心配そうに母が入って来た。

終わったら夫に電話してくれたそうだ。母は広い30人くらい入りそうな立派な部屋で、1人でポツンと待っていたそう。宮沢賢治セロ弾きのゴーシュなど読みきったと笑っていた。

2時間と言っていたけど、少しだけ長かった?とかで、終わりの方は少し心配したそうだ。

 

しばらくして夫も来た。

何を話したかあまり覚えてないが、いつまでも2人がこちらを見つめて座ってくれてたので、HCUのスタッフが

「もうあとは大丈夫ですよ」と帰してくれた。

私は2人に悪いなと思っていたので、少しホッとした。母は父との夕飯の支度もあるし、昼過ぎから長かったから。

 

手術って本当に知らん間に終わるんや。

私はもう麻酔からさめて起きているのに、あまりに激痛や吐き気がくると聞いていたので、いったい麻酔はいつさめるの?とボンヤリしていた。

 

当日の夜は、痛みよりたくさん繋がったあちこちの管で鬱陶しく、寝たり起きたりの繰り返し。

時々看護師さんにお願いして、寝がえりをうつ。背中側に細長い枕?みたいなものを置いてもらってゴロン。だいぶ慣れて、担当が変わった頃、

「コレ(長い枕)無しの方が楽じゃない?」

と言われておそるおそるやってみた。問題なく、そんな気もしたのでそれでいくことにした。

 

 

ヘルニア手術前日【余談】

※今回は手術前日の麻酔科の説明についての話なのですが、全くヘルニアと関係ない内容なので、ヘルニア!坐骨神経痛!とお調べの方々は飛ばしてもらって結構です。

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手術の前日に麻酔科に行って説明を聞いてくるように言われた。

麻酔科は病院の中でも位が高いというのは聞いていたが、患者がわざわざそこへ出向かわなければいけないとは。

こりゃ〜エラそうだ。

 

密室に登場した同い年くらいの麻酔医。

カジュアルな服装だ。

席について書類を出してすぐ、「あっ、ちょっと忘れ物スンマセン」と出て行った。

夫はすぐ、「ボールペンやな。部屋に何本か置いといたらええのに」と気づいた。

 

しばらくして現れて、分かった。ボールペンよりもう少しアピールしてくるものだった。

 

それは万年筆。

 

私も万年筆が好きだから、何となくわかる。

 

モンブランの傷1つないケースから、鮮やかな美しいブルーの万年筆が現れた。

もう一本は、薬品メーカーの普通のボールペン。

で、得意げに万年筆で必要以上にグルグルと丸をつけるものだから、私の名前のところはもうグルグルで見にくい・・・。

 

同年代らしく気さくに余談を交えつつ話すもので、私もつい、「それは、ペリカンですか?」など口を挟んでしまった。

 

それは彼のボタンだった。

 

「ちったぁ話が分かるようだな」とばかりに、万年筆への熱い思いが溢れ出し、語る語る。

「私の麻酔の話は?」と時々笑ってつっこむが、とどまることを知らない。

 

インク、書き味、美しさ、選ぶ楽しみ・・・。

インクはやっぱりカートリッジではなくコンバーターで吸い込むのが楽しいようで、手がかかるのがまた!と。

 

しかし、そんな熱意をよそに、万年筆はすぐ書けなくなった。

インク切れだ。

 

彼がいくら熱く語っても、出ない。

万年筆初心者とみなされた私は、特別に書かせてもらえたが、インクが出ない。

 

ほらわかります?この「サリサリ感」がいいんすよ〜!なんて言ってる。

私はマニアじゃないので、やっぱりインク込みの書き味「ヌラヌラ感」(と通は呼ぶそうだ)が試してみたかった。

・・・さっきグルグルしてアピールし過ぎだよ!!!

 

彼のブルーのは、私も知っていたイタリアブランドの相当高いものだそう。1番高いのも持っているとか言ってた。

ケースも、「どこのかわかります?」モンブランですよね。というと大変嬉しそうだった。

 

色んな色のインクも欲しくなってつい買っちゃうらしい。

万年筆が10本くらいあるとしたら、それぞれに洗っては色んな色を入れ替えて、すべて使っている状態にしておくのが彼の美学。

 

私は全くその趣味ではない。

まず、高すぎる万年筆は買えない。

ほどほどのもので、質の高いものを一本か二本。色は黒かこげ茶か緑系だ。

できれば濃い紺色のインクだけでジーッと使いたい。

 

でも、もしお金持ちになってしまったら、私もそういう気持ちになるのかも?だけど自慢はしないでおこう、なんて考えていた。

 

結局、私の説明は簡単におわり、私はその薬品メーカーからのもらいものボールペンでサインさせられたのだった・・・。

 

今日は楽しかったです!なんて言ってた麻酔医とは、再度ご対面することになるので、「手術当日」をご覧下さい。