ヘルニア手術前日
前日に入院だが、午後から行くので余裕がある。
なかなか髪が洗えないことは2回の入院で覚えたので、午前中シャワーを浴びる。
爪も短く切ってあるし、眉毛も整えておいた。
女性はこのへんの準備も必要ですよ!
(ヘルニアの闘病日記は圧倒的におじさまが多いので。だいたい、2回の入院は緊急だった)
そして夫にカレーをたっぷり作っておいた。
前夜に「少なめに作ろうか?」と聞いたら「そりゃたっぷりがありがたいけど」なんて言ってたから、ル・クルーゼになみなみ。ルー1箱分作っといた。
午前で仕事を切り上げた夫に伝えると、
「多すぎるやろ!1人で何日かかんねん!」と吹き出していた。
だから聞いたやん?お昼に自分1人で食べたが、味は美味しかったから、頑張って。
午後、夫の運転(ここのところ後部座席に寝転がるのが定番)で向かい、入院センターへ。
ここのコンシェルジュという名のスタッフ、どうもいつもスムーズにいかない。
細かい持ちものに名前を書いてってとこ。
そこは前回のぼんやりコンシェルジュが説明を忘れた書類に書いてあったのだ。あとで送られてきてて、私は目を通していたので、簡単なものには書いておいたが、タオルや寝間着にもとは知らなかった。
どんどん細かい話になり、夫も私もピリついてきて、早々に切り上げた。ある程度はしたがって、ある程度は自分たちで判断しようと。(書かなかった。結果、全然それで大丈夫だった)
看護師さんや薬剤師さんではないから、余計に融通が利かないのかな・・・?
気を取り直し、売店で紙パンツ(118円なり)を購入。わからなくて店員さんに教えてもらった。ああ、これエステのやつやん。
荷物をまとめて整形外科の病棟へ。
あれっ・・・なんか、意外と、古い。
憩いの場所みたいなところで、ベテランな感じの看護師さんとご対面。説明や書き物などアレコレ。
寝間着は有料で借りられますよね?と聞かれ、持参のものを見せたらOKだった。
「買われたの?」と。
さっき入院センターでも「和式の?」なんて聞かれた。和式以外何式があるのか。
年齢的に、珍しいのだろう。
入院中にこの持参の寝間着について何人もの看護師さんに驚かれた。
「家にあるのがすごい」「レトロで可愛い」「ボタンやヒモがちゃんとくっついてるから、こちらも作業スムーズ」
など、概ね好評で嬉しい。
おばあちゃんが着ていたのを覚えていて、母に聞いたら5枚も届けてくれたのだ。
エリのところなど漂白し、ヒモがなくなったり通したりは看護師さんが困るだろうと、ぬいつけておいた。はだけないよう、スナップボタンと、すそのあたりもボタンやゴムで工夫しておいた。
下手な裁縫でも、愛着が湧く。
「おばあちゃんが見守ってくれてるみたいでいいじゃない」と母が言ってくれたのだが、私も心からそう思う。
で、4人部屋に案内される。
しかしここは一夜だけの予定。当日はHCUという特別なケアで見守る部屋に入るし、そのあとはまた違う部屋なのだ。
だから荷物の仕分けが難しかった!
HCUに入れる最低限の荷物以外は、いったん付き添いの家族が預からないといけない。
しかも付き添いは母。
そのあと夫にバトンタッチの予定。
頭を使った。
しかも手術は明日の朝と聞いていたのに、
着いてみたら明日の14時過ぎだという。
先生〜!連絡してよ!
落ち着かない間にも、さらに様々な同意書を書かされたり、麻酔科に説明聞きに行ったり、リハビリの子が現状確認に来たり。
こんなに忙しいものか。
夫が仕事に戻ったのも結構遅かった。17時くらい?大変だったと思う。
そのあとM先生も登場!
痛みどう?って聞かれて、今は痛みは大したことないですけどつっぱり感がと答えると、
「痛くないんやったら、やめる?」
だって。
直前でも辞めていいと同意書にも書いてあったし、身体の変化はわからないからそういう選択もあるだろう。
「いえ、やります」
「あっそう。じゃお願いします」
サッパリとした、頼もしい先生。頼みます!
で、夕飯。
持ち物にスプーン・箸と書いてあったのだが、T病院もN病院もついていたから、ついているだろうと思ったら、
ホントについてない!
念のために持ってきて良かった〜〜〜。
割と美味しい。T病院もN病院も美味しかった。今はどこもそうなんだな。
同室のおばあちゃん、1人は認知症だった。
彼女も明日手術で、何度も飼ってた犬のことを気にしてた。
看護師さんも大変だ。
すいませーん!すいませーん!と大きな声で看護師を呼ぶので、親切心から「ナースコールしましょうか?」と呼んであげたのが失敗。
看護師さんがくると、黙っちゃって・・・。もう手は貸さないことにした。
その後も何度か「何が何だかわけがわからん」「手術?私が?どこを?」と。
大変だなぁ。
自分もそうなるかもしれない姿だ。
その日は、割と早くよく寝た。
窓の外では嵐のような風の音がしていたが、窓側じゃなかったのでよくわからなかった。
雪だと母が困るだろうなと思ったが、雪は降ってなかった。
手術を決めてから
手術を決めたら、準備だ。
今回はあれこれ自分で準備出来る。
2回とも救急搬送された入院だったので、こんなに落ち着いた気持ちで出来るのはありがたい。
1番行きたかったのは美容院だが、現時点では美容院に居られる自信がない。
出張美容院も調べたが・・・やはり諦めることにした。出張美容院、施設の高齢者以外にも、実はかなりニーズがあるだろうな。システムは書いてあるので、ヘアスタイルなどもう少し載せて欲しい。
コップや楽のみ、ティッシュの箱にもマジックで名前を書く。
下着やタオル、耳栓、ブラシ、鏡、メガネケース、ビニール袋。
だんだん入院のプロになってきた。
よくないな。
冷蔵庫の夫では扱いにくそうなものもなるべく整理して、身の回りも掃除して綺麗に整理した。
好きな映画も予約録画した。
手術して何日か後に持ってきて欲しいセットや退院セットも作っておいた。
今回moondayが手術日の2日後予定というのが気が重い。
そんな腰の負担大丈夫だろうか。
取り替えなどに介添えが必要だろうか。
用品の数も見越し難い。
入院、手術の両日とも夫が来てくれると言ったが、母が「予定を空けておくので頼ってね!」と言ってくれた。
夫は年末から毎日私のことで仕事を休んだり半休とったりと、かなり無理してくれている。
話し合って、手術日は母に頼ることにした。
病院の説明もなかったし、私は手術ってそんなに家族が待機してないといけないことを知らなかったのだ。
ドラマでよくある場面は、家族がいてもたってもいられず集まるのかと・・・。
10年くらい前に手術した母の口から、「そりゃいざというとき本人に聞けないもの!誰かいないと。」と聞くまでは気づかなかった。
家族、知人など一部の方にもお知らせする。
簡単な手術とはいえ、全身麻酔は人生初のこと。
遠方の友達が、「足腰守」という、今年の干支の亥のお守りを送ってくれた。
普段はお守りは遠慮しているが、その子はそれを知った上で少しでも力になればと思ってわざわざ人気のところで手に入れてくれたのが嬉しかった。
もちろん入院の荷物に入れた。
何人かは手術前に自宅にも来てくれたし、
電話やLINEでかなり心強いヘルニア エピソードや現代の医学の進歩を教えてくれた人も。
私は多くの人に守られて臨める、と怖くなくなった。
前日に思いついて遺書は書かなかったが時間があれば書いたかも。
しかしそこで伝えたいことって何かしら。
この頃には洗濯、夕飯作り、朝ごはんのお米セットくらいは出来ていた。車の運転はまだ。
飲み薬は入院の2日前くらいから、
トラムセット&吐き気止め 毎食後→朝 午後
寝る前のリリカ150mg→75mg
まで減らせた。ロキソニンは全く。
これだと起き抜け少し痛む。
手術後は無くしたいなぁ。薬。
ヘルニア手術を決めた
初めてS病院でM先生に会ったときにほぼ決めていたが、手術しようと決めて、もう一度先生に会いに行った。
また夫は仕事を半分休んでくれて、車で付き添ってくれた。
まぁ、ここまでの期間が長かったのと、痛くなる度に悪化していること、ほとんど要介護のような生活が長いのはつらいし、あの激痛がいつくるかわからない世界は嫌だと思った。
個性的なM先生ではあるが、頼れる先生への信頼感も大きい。
私の場合、
①第5腰椎のわかりやすいヘルニア
②第4腰椎のあたりももしかしたらやや外側(がいそく)ヘルニアの感じがするが、MRIではちょっと判断しづらいそう。
①は除圧式でまぁよくある簡単なオペ
②は切ってみないとわからない部分もあるが多分固定式になるかな?というところ。やや難しいオペ。金具みたいなもので固定する。
で、選択は3つ。
1.何もせず痛み止めで様子を見る
2.①だけ手術して様子を見る
3.①②同時にやってみる
私達の選択は2.だ。簡単な方のヘルニア摘出。
ただ!再度手術の予定を話し合ってから驚いたことだが、先生はこの地域ではかなりのスペシャリストで、小さい傷で済む方法も相当こなしている。
が、なんと私の手術は従来どおり切開するからね、とのこと。
「4cmくらい切るよ」
ヒィーーー
今やみんな内視鏡だのPEDだの言うてまっせ!あたしゃネットでめちゃめちゃ検索して知ってますねん!傷は5mm〜20mmって書いてあったで!あんた最新の技術持ってんねやろ?!
内心かなりうろたえる。
ただ、私の場合ヘルニアが「ダラーンと垂れ下がっている」のだ。だらしなく。
そして「やや狭窄気味なので、ここもちょっと広くして神経通りやすくしとくね」
とサラッと新しい情報を与えるM先生。
ほんのり脊柱管狭窄症だったなんて。
「よろしく・・・お願いします。」
「4cmも切られるなんて、ラブ法(これもネットで覚えた)なんて思わんやん」とおびえる私に、夫は
「しゃあないやん、だらしな〜く垂れ下がってんねん。」と。ぐぐぅ。言われたくないワードを拾う名人。
(その後に術後の回復について言われてた、「あんた歳じゃないけど若くもないからね。微妙やね」というワードもその後何度か使ってたな・・・)
ブツブツ言いながら、手術前検査というものに突入。結構かかる。半日仕事だった。
車椅子のまま回る。
まず採血。これが8本!!!
初めての本数といつも針が刺しにくいと言われる自分の血管におびえると、声の高い優しいチャキチャキおばちゃんがベッドに横になって採血しようか?と言ってくれる。
ラッキー。優しい上に、上手かった。
そして心電図。
それとまた整形に戻って、インフルエンザ検査の先っちょを太くした感じの棒を鼻に突っ込む検査。粘液かなんかを調べる。
1番変わってたのは、呼吸を調べる部屋。
パイプみたいのを加えて、看護師さんの合図で吸ったり吐いたり止めたり。2人きり、不思議ワールド。
最後なんか、ノートパソコンの画面上バースデーケーキの上にロウソクが立ってて、連動してるその炎を吹き消すようにフ〜ッ!と大きく吹く。なんの世界?と思った。
で、レントゲン撮って終わりやったかな。
今月何回めのレントゲンか。医療というものは、もっとデータ共有の世界にしないといけないと思う。(しつこい私)
お次は入院センターみたいなところ。
コンシェルジュという名札をつけた女性に、アレコレたくさん聞かれて答えていく。
何かボサーッとした人で、毎日この作業をこなしているとは到底思えない、書類の整理の出来なさ。ぼんやり。字も綺麗ではない。
すぐどの書類かわからなくなったり、そこに置いたら絶対毎回端っこがバシッてあたるやん、ってとこに置いたり。
若手ではなく、おばさん。大変だ・・・本人は何とも思ってなさそう。
挙句、HCUというところに手術当日入るのに、その説明や書類が含まれておらず、お詫びの電話と郵送があった。
本日のお会計は7800円くらい。とほほ。
今月の分は高額医療費制度である程度戻ってくるが、ものすごいペースで費用はかさむ。
手術いくらになるのかな〜。
今度は準備出来るから、事前に限度額認定証を夫に申請してもらっている。
この頃、少しは薬のローテーションが落ち着いてきて、ロキソニン&胃薬は飲まなくなってきた。
トラムセット&吐き気止め 毎食後
メチコバール 毎食後
リリカ150mg 寝る前
家事も洗濯物干しなど一部は出来るように。
買い物は土日に夫に連れて行ってもらう。
運転いつ再開出来るのか。
さぁ、手術まであと1週間だ!
手術という選択肢
あくる日大きなS病院に夫が車で連れて行ってくれた。
車椅子でまわり、ベンチに横になる。
予約していても1時間ほど待つ。
M先生の新聞の切り抜きなどが貼ってある。
呼ばれて入ると、身体も大きな、声も大きな堂々としたM先生。
忙しい人だが、じっくり聞いて的確に提案してくれる感じがする。
ハッキリ言えないことは「わからん!それはなんとも言えん!」と言うのが面白く、しばらく夫婦の会話でも「わからん!」と即答するのが流行った。
◎所見◎
腰椎5番目はっきりヘルニア 。そこまで巨大ではないが、結構圧迫してる。
もしかして少し上の腰椎4番目も外側(がいそく)ヘルニア かも?この画像だけでは何とも言えん!
様子見てもいいが、手術するならタイミングってものがある。ズルズル痛みの時間が長いと、神経が(何て言われたっけな。癒着?そんなようなニュアンス)する。積(せき)ってわかる?痛みが増幅する。
というような話。
私達からしたら、まず、
「ああようやく手術出来るって言ってくれた。」
といった明るい気分。
自然といつか治るものだからと手術を避けるのもわかるが、
あんなに激痛で、2回も入院して、ほとんど歩けなくなって。それでもみんな手術って大きさでもない、様子見ましょうって、痛み止め薬だけで・・・そりゃもう暗い気持ちだった。
内心即答したかったが、慎重でいたいのもあったし、
O先生が渡してくれた画像はO整形外科で撮影した2、3ヵ月前のものだったようで、N病院の激痛時に無理矢理とったつい最近の画像が見たいと言われたので、
再度O整形外科に取りに行くことにした。
(二度手間にさすなよ〜O先生!前にも言ったけど、医療の世界はデータを共有にしてほしい!)
M先生はそれを見て判断したいので、お互い保留で。
帰りに、画像に先生が印をつけた紙を印字してくれ、ペインクリニックのことも相談したので、紹介出来るペインクリニックの一覧表みたいなものももらえた。飾らないけど親切だ。
その足でO整形外科に寄る。
はじめ、CD‐ROM借りるだけなのに診療に並ばなければいけないと言われた時はさすがにムッとしたが、しばらくして画像だけ持ってきてくれた。
**************
新しいほうの画像を持って行く日は、早くから母が迎えに来てくれた。またS病院へ。
高齢になった母に車椅子を押してもらうというのは、大変抵抗のあるものだった。
申し訳ない気持ちでお願いする。
母らしいザックリした押し方が、時々どこかへ当たったりして笑えたが・・・。
待ち時間はやっぱり長かったが、女2人ゆっくり話せて楽しかった。
さて、画像を見たM先生。
「このN病院の画像見たら、外側(がいそく)ヘルニアはちょっとどうかようわからん!という。画像がもやーっとして見にくい。」
激痛時に無理矢理とったからな・・・。
しかしまぁ、逆にわかることもあると。
「第5番目のハッキリしてるほうのヘルニアは、明らかに増大。つまり悪化してる」。
それで、
①引き続き様子を見る
②ハッキリしてるものだけ摘出
③ハッキリとモヤッとを同時に見てみる
3つの選択肢をもらい、夫とも相談しますという話にした。
母は待合で待っていていてくれたが、簡単に報告すると、明るく聞いてくれた。帰って、母の美味しいお昼を一緒に自宅で食べられて嬉しかった。1人では何もできない。
夫に話して、②に決めた。
決めてからまた予約をとった。一週間後。
CD‐ROMはまたO整形外科に後日返却した。
この時期も、ほぼ自宅で軟禁状態というか、のそーっと起きてきて(朝がこわばっていて激痛がきやすい)家事もほとんど出来ず夫の帰りを待つ状態。
仕事で疲れているのに、おでんを仕込んでくれたり、本当に細やかによくしてくれた。
トラムセット&吐き気止め 毎食後
メチコバール 毎食後
寝る前 リリカ150mg
それでも痛い時ロキソニン&胃薬(1日2回くらい飲んでたかも)
これはあかん。やるぞー!手術!
2回目の退院
ようやく退院だ!
ずっと個室で11日間。
本当にいまいましい日数の入院だった。
午前中、予約してあった泌尿器科で外来の診療。
最終確認でも菌は消えており、正常値。
それより卵巣嚢腫が気になるからちゃんとみてもらったほうがいいね、と同院内の婦人科を案内してくれたが、とてもそちらに行く余裕のある状態ではないので(ヘルニアで)、予約はとらず。
でもそのうち行かなきゃな・・・。泌尿器科の女の先生も、そんな大きくないけど、まぁこれはそのうちとったほうがいいだろねって。
こちらもか・・・。入院&手術yearになるのでは?!
あとはあまり覚えてないけど、夫が午後から休んで車で迎えに来てくれた。
車椅子で院内を移動。
お会計は20万とちょっとでクレジットカードを使った。急だったので事前に申請出来ず、あとでいくらか戻ってくる。
そのうち7万が個室代!これも、夫の仕事先では、申請すると少しだけ補助が出る。
その足で家の近くのO整形外科に行く。
紹介状とN病院の画像を渡し、近くのかかりつけ医として薬を処方してもらう。
O先生もビックリ。
「またまた大変だったねぇ」「ええ・・・ドラマチックな年始です。」
O先生はもともと大きな病院の立派な立場も務めた立派な先生だし、町のお医者さんにしてはMRIもリハビリもあり、かかりつけ医としては人柄も優しくていい先生だ。
いつも大人気!
ただここでは硬膜外ブロックみたいな麻酔の注射はやってない。基本トリガーブロックで、私には全く効き目なし。
そういう踏み込んだ処置をお願いするには、どうしたらいいか?
日常生活がままならないのは本当に困ると相談した。
夫婦での話し合いではペインクリニックが有力だったのだが、「それも1つの手段だけど、麻酔だからねぇ」と、別の提案。
地域ではかなり大きな、確かに脊髄では症例数がダントツで多いS病院。そこに知ってる力のある先生がいて紹介出来ると。
ウーン、また病院か・・・という気もしたが、S病院なら一度行ってみようかということに。
ただ、スタッフが予約してくれたはいいが明日だって。早い方がいいけど明日って!
夫、仕事連日都合つけてくれるという。ほんとゴメンね。
画像と紹介状をもらい、そのままとなりのドラッグストアの処方箋薬局へ。
いつもなら歩いていける距離だけど、まだ車移動。
処方箋が混んでいて(ここの薬剤師はちょっと奇妙な女性ですごく作業が遅い)
杖をついて受付を済ませ、ベンチで横になって待つ。
夫はその間ドラッグストアで必要なものを買っておいてくれた。
O整形外科の患者が流れてくるので、次々におじいちゃんが現れ、申し訳なく身体を起こす。
2週間分の薬を処方してもらった。
リリカは150mgにしてもらった。
もうすぐ家・・・頑張れ。
家、最高だった。
ネットで頼んでおいたものが全て揃っており、夫が受け取り、ベッドやお風呂の介護イスを組み立て、羽毛布団も干してくれた。快適!!!
夫が作ってくれた美味しいご飯を上げ膳据え膳で。もう、感謝するばかり。
2回目の入院⑤【シャンプーに驚き 編】
シャワーを予約していたのに激痛がきたりしてなかなか清潔に出来ないことを私が看護師さんに相談すると、
どうしても難しければ、ベッドの上でシャンプーさせてもらうことも出来ますよ。と言ってくれた。
これが驚きのやり方で、
大人用オムツを2枚並べた上に頭を置いて、寝たきりでシャンプーしてくれるのだ。
お湯は病院や介護などで陰部などを洗浄するボトルのような(これも入院で知った)、押すと必要なだけお湯が出てくる容器。ソースのようにかけてくれる。
私は髪がわりと長いので、とても大変だったと思うけれど、お湯を足したりオムツを取り替えたりして、懸命に嫌な顔せずやって下さった。
プロ意識と看護師さんの技術の広さには頭が下がるばかり。
それと大人用オムツの吸水力よ!!!
このシャンプーは、たかがシャンプーとお思いだろうが、私の前向きな気持ちをグッと高めてくれた。
サッパリして、やる気も出て、痛みもぐっと抑えられて動けるようになってきた。素晴らしい看護師さん。
患者を治すのは医者だとは限らない。
また、この頃ちょっと薬を増量した。
といっても退院3日前ぐらいだが、絶対退院しようと必死だったのだ。朝まで痛みなく眠れるように、寝る前のリリカを150mgに。
1日の限度が300mgというのは知っていたし、以前150mgを処方されたこともあったので。
これはピタッとハマって、その後シャワーを浴びられるくらいになっていった。
退院日は、泌尿器科に外来で来るつもりだった予約がしたある日。全部一緒に終わらせる!
2回目の入院④【脱出への道 編】
さて、
「上手く痛みが抑えられて来たぞ」という日もあれば、
また先日の朝のような激痛による目覚めと泣き叫びの日もあった。
激痛の日はまた泣き叫びながら看護師さんに「もう無理やって〜整形に処置してもらうかどっかに移して〜」泣
みたいなことを訴えていたが、
看護師さんも心得たもので、冷静に「ハイハイ」と答えつつ座薬をぷすっと入れて去っていく。
悲しくなく声もかすれていき、クークー寝てたり、おさまりつつはあったのだと思う。
それと、N病院での激痛に共通するのは、寝起きのちょっとした動作が引き金になっていること。
あの頼もしい看護師さんが、布団の中で無理のないほぐしをしてからゆっくり目覚めることを考えてくれた。彼女にはかなり助けられた。
その後ビッグウェーブは来なかった。
常にここから出る手段はないか、逆救急車みたいなものはどうか、介護タクシーやら民間の救急車の検索までしていたが、
やはり自力で出るより他にないようだ。
**************
合わせて、夫とコンビネーションで退院後の生活を準備していった。
どうしても必要なものを私が病院のベッドからネット注文、夫が受け取り&組み立てだ!いい時代だわ〜。
*羽毛布団
1回目の入院後、自宅で寝てみて一番キツかったのは、掛け布団が重いこと。
嫁入りの時に持たせてもらったかなり良い綿のお布団だったが、寝返りを打つのも痛くて、夜中に重ーーーい!痛い!とうなった。
あまりに種類があるので困ったが、ちょうど初売りで百貨店が福袋を出している。
私はアパレルにいたこともあり福袋というものが大嫌いだが、百貨店のこういうものが上質で値段以上の価値が本当にあることは知っていた。ホワイトダックのダウンパワー375dp以上というもの。
これは素晴らしい良い買い物になり、夫にも試してもらい、後日色違いで夫の分も注文した。
めちゃくちゃ軽くて、真冬なのにこれと薄手の毛布で暖かい!羽毛布団の質の違いを感じた。
*介護用お風呂イス
これも1度目の入院のシャワーで学習。
脚がビィーン ピキーンってなるのが怖いので、あちこちにイスが要るが、最も必要なのがお風呂。
普通のじゃ低い。
病院のは背もたれがついててかなり頑丈だったので、同じようなものを選択。
これもかなりお世話になった、高くない良い買い物だった。そのうち歳をとった両親にも要るかもしれない。
(後にお見舞い来てくれた時に見てもらった。)
*折りたたみベッド
うちは畳の上にお布団派だったが、これは夫の提案だった。私は思いつきもしなかった。
看護師さんに、ウチは畳に布団で寝てるって話したら、「布団かぁ〜退院後厳しいな〜」って言われた話が耳に残ったようで、
折りたたみの簡単なやつなら良いんやないかと教えてくれた。
折りたたみのとなると、安価で腰に悪そうな大学生の一人暮らしみたいなものが多い中、
高反発の分厚いマットレスで、値段も安く評価も高いものがあったので、それにした。
これも大正解。見た目は確かに折りたたみベッドのそれだが、臨時にしては充分。
ひざ下の高さが合うのも重要なポイントで、高すぎるとピョンと降りるし、低いのはもっと起き上がりにくいのでベッドの意味がない。
*折りたたみの杖
これは、何度か使ったが・・・要らなかったかも。3000円くらいの安物だからまぁいいか。
主にこんなところ。
これを思い出して書いている今は、オシャレなショッピングカートも欲しい。
→頼んだ。